敷地面積
1651.06m2
延床面積
319.38m2
施設の活用状況
貸出施設
◎和室1:27.26m2(14畳)
◎和室2:11.76m2(6畳)
◎厨房・飲食スペース:52.24m2(屋外テラス含む)
◎展示室(1):33.41m2
◎土蔵(1):34.57m2(ロフト含む)
◎茶室:9.76m2
赤井家資料展示
◎長屋門北側:11.84m2
倉庫
土蔵:38.80m2(2階含む)
事務室・トイレ
管理棟:39.74m2
◎は国登録有形文化財(建造物)に指定された建物
整備の経緯
平成22年 | 赤井家住宅主屋、長屋門、土蔵、土塀、茶室が国有形登録文化財に指定(9月) 赤井家住宅寄贈(12月) |
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平成23年 | 基本設計業務(プロポーザル方式により業者選定) 活用検討市民ワークショップ |
平成24年 | 実施設計業務 |
平成25年 | 整備工事(〜平成26年9月) |
平成26年 | 供用開始(10月〜) |
赤井家住宅に関する文化財的所見
赤井家は、かつて丹波国黒井(兵庫県丹波市)の城主であったが、京都で蟄居していたところ、藤堂高虎に召し抱えられ伊賀に来住、千石の禄高で足軽大将に任ぜられた(『公室年譜略』)。
上野城下町絵図によると、寛永年間(1624〜1644)に赤井悪右衛門が丸之内の西にある鉄砲場に屋敷を構え、また、明治初期の絵図では現在地と同じ忍町に赤井餘三郎の名前が記されている。赤井餘三郎の役職は肝煎目付であった(『庁事類編』)。
所在地で絵ある上野忍町は、上野城下町の三筋町南一帯に広がる武家屋敷地で、赤井家住宅は南北に城下町を貫く中之立町通りの西側に位置する。敷地には通りに面して長屋門と土蔵があり、長屋門から北側、長屋門と土蔵の間、土蔵から西側に土塀が建つ。門の正面に主屋があり、主屋の東南、土蔵との間に茶室が位置する。
建物の年代は、長屋門が最も古く、江戸時代末期の建築と見られる。他の建物は明治以降、茶室は昭和前期の建築である。
主屋
明治11年(1878)生まれの家人が子どものころに建て替えたと伝わる。主屋は、木造瓦葺平屋建、切妻造で東西棟とし、門に妻面を向けて妻入りとする。間取りは、武家屋敷であった前身建物を継承する。
長屋門
入母屋造桟瓦葺で妻飾りは格子とする。北寄りに門口を構え、正面は下見板張で上部を漆喰塗とし、南端に出格子窓を付ける。戸口は板戸と格子戸をそれぞれ両引きとし、脇に半間の開き戸を入れる。
土蔵
土蔵造2階建、切妻造桟瓦葺の建物である。切石積基礎に建ち、腰高に堅板を張り、上部は白色の鉄板仮張とする。なお、明治28年(1895)に修理が行われている。
土塀
桟瓦葺で、南方土塀の中ほどに門が設けられ、主屋への通用門となっている。門の屋根は桟瓦葺、扉は内開きの板戸である。土塀は門を挟んで両側の高さが異なり、また基礎石の形状にも違いが見られる。壁面は中塗仕上で、中之立町通りに面する土塀の前には背の高い犬矢来が置かれる。
茶室
木造平屋建、切妻造銅板葺である。外壁は土壁中塗仕上、輿は化粧板張である。間取りは三畳で庭に面する西面に貴人口、北面に勝手口を設ける。南面に円窓を穿ち、その東側に煤竹をトコ柱とするトコを備える。天井は網代天井である。